総じて“プリクラ”と呼ばれるプリントシール機。元祖の「プリント倶楽部」が登場したのは1995年7月のこと。ブームを経て、すっかり定着したかに思えたが、ここへ来て業界大手のメイクソフトウェアが倒産。プリクラの最新事情を探る。
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コンピューターソフト開発のアトラス社が「プリント倶楽部」を誕生させたのは95年だが、当初からプリクラがヒットしたわけではなかったという。
「ブームのきっかけはSMAPでした。96年、彼らがテレ東でレギュラーを務めていた『愛ラブSMAP!』で、番組プレゼントとしてメンバーのプリクラをプレゼントしたことから、認知度が上がり、各社が参入。ちょうどコギャルブームと相まって火がついたんです。マイクロミニにルーズソックスのコギャルたちは、友人、知人の数を競い、何百枚ものプリクラを貼りつけたプリクラ帳を持ち歩きました」(業界関係者)
現在、SNSで“いいね!”やフォロワーの数を競うのと同様だろう。
プリクラ業界の栄枯盛衰
一般社団法人日本アミューズメント産業協会の集計によると、プリントシール機による年間の売上高と、全国の設置台数の推移は以下の通りだ。
年間売上高(単位:百万円) 設置台数(単位:台)
96年 60,351 35,436
97年 101,330 50,228
98年 41,793 46,768
99年 39,543 39,770
00年 51,050 41,814
01年 56,444 35,971
02年 60,537 36,546
03年 58,541 29,400
04年 53,442 27,400
05年 42,229 20,572
06年 34,293 20,031
07年 30,701 19,760
08年 25,405 18,509
09年 23,804 15,530
10年 24,676 15,053
11年 32,491 16,503
12年 26,641 12,711
13年 26,684 13,050
14年 22,745 12,062
15年 22,480 11,549
16年 22,594 11,059
誕生から2年後の97年には、市場規模は早くも1000億円に達している。しかし、その翌年(98年)には、設置台数が約3500台減っただけにもかかわらず、市場規模は半分以下の417億円にまで落ち込み、さらに99年には400億円も割った。
「2000年代となって競われたのが、写真の綺麗さでした。日立ソフトウェアエンジニアリングの“美写シリーズ”、ナムコの“花鳥風月”などの機種です。特にナムコは顔認識機能を用いて、デジタル処理によって目をハッキリと写し出すことに成功しました。また合成技術により、空を飛んでいるように見せるシールも製作できるようにもなりました」(日本アミューズメント産業協会)
ゲームセンターがコスプレ衣装を貸し出し、それで撮影する“コスプリ”なども現れ、02年には市場は600億円を超えるまでに回復する。が、ここまでが隆盛期といっていい。
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