「ああ」
「いい靴なんだな、それ」
「最高だ……!」
池井戸潤原作、役所広司主演の日曜劇場『陸王』。最終回を支えたのは、走って、走って、走りまくった竹内涼真と、それに負けじと猛烈に走った佐野岳だった。
舞台は第1話と同じ豊橋国際マラソン。大ケガから復活した茂木裕人(竹内)と、日本陸上界の若きエース・毛塚(佐野)の対決に大観衆は湧きかえっていた。演出の福澤克雄得意の人海戦術で、あふれんばかりに埋め尽くされたエキストラの間を、若い2人がとにかく走る。応援する宮沢(役所)らこはぜ屋の面々や陸上部監督の城戸(音尾琢真)、埼玉中央銀行の大橋(馬場徹)、そしてFelix社長の御園(松岡修造)らの様子が時折インサートされる程度で大きなサイドストーリーもなく、画面は2人を中心としたレースの模様を映し続けた。
原作でも最終章はほぼレースに費やされている。588ページの大著のうち、わずか30ページ強しかない最終章だが、画面の力で押し切った。竹内と佐野の肉体に対する演出陣の信用を強く感じさせる構成だった。
敗者たち、弱者たちの
前回、宮沢と坂本ちゃん(風間俊介)が提案した業務提携という話を、Felixの御園が飲みつつもシビアな条件を課する形で、こはぜ屋の経営問題は落着する。
「諦めずに挑み続ければ、必ず道は開ける」
「本当の負けってのは、挑戦するのをやめたときだ」
宮沢の力強い言葉に鼓舞されるこはぜ屋の人々。宮沢は飯山(寺尾聰)や息子の大地(山崎賢人)らの姿から、これらのことを学んだと言う。飯山は倒産という地獄から蘇り、大地は就職活動で何もかも否定され続けてきた。宮沢だって先代の後を継いだ会社を倒産寸前にまで追いやってきた。彼らは手痛い負け戦から這い上がろうとしているのだ。
そもそも、地方の零細企業であるこはぜ屋の人々だって、世の中から切り捨てられつつある弱者たちである。100年作り続けてきた足袋はどんどんニーズがなくなり、社員は高齢者ばかり。それでも諦めず、必死になってくらいついてやってきた。役所広司が「池井戸さんのドラマは、弱者に優しいドラマだと思います」とコメントしていたのを思い出す。
敗者たち、弱者たちだって、負けっぱなしではいられない。少しでも今よりマシな人生を歩もうと日々頑張っている。彼らの武器は、諦めない粘り強さ、しぶとさ、そしてお互いに寄り添い、支え合おうとする気持ちだ。
『陸王』は誰かが誰かを支えるドラマ
『陸王』は、ひたすら「誰かが誰かを支える」ドラマだったと言っていい。
宮沢とこはぜ屋はケガから復活しようとする茂木を支え続け、茂木は最後にこはぜ屋を支えようとしてアトランティスのRIIではなく、陸王を選んだ。シューフィッターの村野(市川右團次)と城戸監督は茂木の復活を支え続け、茂木とチームメイトたちは引退しようとする平瀬(和田正人)を支え、平瀬はコーチとなってチームを支えるようになった。Felixの御園はダイワ食品陸上部を支えることにしたようだ。
こはぜ屋の中では、あけみさん(阿川佐和子)が宮沢の決断を支え、玄さん(志賀廣太郎)が銀行に頭を下げて会社の経営を支え、冨久子さん(正司照枝)の穴を埋めるために美咲(吉谷彩子)が一生懸命働いて会社を支えた。
逆に、こはぜ屋を支えなかった埼玉中央銀行はメインバンクを乗り換えられ、茂木を支えなかったアトランティスの小原(ピエール瀧)と佐山(小籔千豊)はランナーたちに見捨てられ、上司にも切り捨てられた。「支える」の反対語は「切り捨てる」なんだろう。
「誰かが誰かを支える」象徴とも言えるのが、最終回の豊橋国際マラソンで茂木が給水に失敗した毛塚に自分のドリンクを渡したシーンだ。このシーンは原作にない。
マラソンの最中に実際にこのようなことはある。2013年の大阪国際女子マラソンでは、給水に失敗して動揺する福士加代子選手に、並走していた渋井陽子選手が「水だけど、これ飲んで」と自分の給水ボトルを手渡した。その結果、福士選手は2位に入っている(産経WEST 2013年1月27日)。
「人柄主義」と「家族主義」
ドラマ『陸王』で貫かれていたのは「人柄主義」と「家族主義」だ。第9話で、飯山は宮沢に御園の人柄を知ることが大事だと説いていたし、あけみさんはこはぜ屋を「家」だと表現していた。
「人柄主義」とは人柄さえよければ出世するという考え方、「家族主義」とは会社を擬似家族になぞらえる考え方だ。いずれも「サラリーマン小説の第一人者」として戦後活躍した源氏鶏太の諸作品に色濃く表れていたものである。真実一郎氏の新書『サラリーマン漫画の戦後史』に詳しい。
しかし、「人柄主義」と「家族主義」だけでは今の世の中は渡っていけない。銀行の冷たさ、グローバル企業・アトランティスによる再三の妨害(セコい手が多かったが)、同じくグローバル企業・Felixとのタフな交渉などについては、それぞれ数字も含めたシビアな現実を描いていた。
前述の真実氏は、池井戸潤作品について「城山三郎的な個人VS組織のシビアさの中で、源氏鶏太的に勧善懲悪で『正義は(たまには)勝つ』ところを描くという、日本のサラリーマンコンテンツのいいとこ取り」「池井戸潤は、源氏鶏太・城山三郎に続く直木賞サラリーマンもの作家の完成形」と表現している(「『半沢直樹』──時代劇+職業ドラマの手法とマンガ的演出で見せた、サラリーマン社会のリアリティ」サイゾープレミアム)。
「人柄主義」「家族主義」と「シビアな現実」の配分で言うと、『陸王』は池井戸潤の諸作品の中でも特に前者にウェイトが置かれていると感じられた。その素朴さは、舞台となった行田市の田園風景とこはぜ屋の高齢社員たちの表情に非常によくマッチしている。
ドラマ『陸王』は、素朴さ、気持ち良さが伝わる作品だった。悪党をやりこめる痛快さ、爽快さより、じんわりと心が温まる作品だったとも言える。茂木、大地、美咲ら若い力への期待がてらいなく描かれていた部分も気持ちよかったし、イヤなヤツにしか見えなかった毛塚、原作では最後にやりこめられる埼玉中央銀行の家長支店長(桂雀々)にも良い場面を与え、イヤミな佐山(小籔千豊)にさえまっとうな仕事人に戻るチャンスを示してみせた。そういえば、最近姿を見せなかったアリムラスポーツの有村(光石研)も元気な姿を見せてくれて嬉しかった。宮沢とケンカでもしたのかと思ったよ……。
豊橋国際マラソンの直前、渡された陸王を抱きしめるようにして言う茂木の言葉が、ドラマ『陸王』のすべてを言い表していたと思う。
「でも、嬉しいです。心が温かくなります」
(大山くまお)
続きを読みます http://news.nicovideo.jp/watch/nw3173887
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