石田は平尾さんの主催する『平尾昌晃チャリティゴルフ』の常連だった。石田は「例の『不倫は文化』というアレも平尾先生のチャリティコンペだった」と回想。当時は不倫で叩かれており、石田は前日に電話で「騒がれているようなので辞退させていただきたい」と欠席を申し出たという。「初めて怒られました。烈火の如く怒られて『純一、逃げるな。名誉も汚名も全部、受けろ』と。すごく、かっこよかった」と思い出し、目に涙を浮かべた。
平尾さんの「逃げるな」という言葉に芸能人のあるべき姿を学び「すごく騒ぎになりましたけど、その後、20年経ちますけど充実している」と感謝。「すごくダンディ」に思いを馳せ「こんなにステキなご葬儀は初めてですね」と平尾さんを偲んだ。
祭壇の写真は最新の事務所のPR写真と1958年に発売されたファーストアルバム『平尾とロック』のジャケット写真が選ばれた。幅14.4メートル、高さ3.6メートルのステージをかたどった祭壇には、バラやカーネーションなど3万5050本の花が飾られ、2003年に受賞した紫綬褒章、愛用のギターが重ねられた。会場には競輪とオートレースを振興する公益財団法人・JKAから提供された「平尾スペシャル」のオートバイ、ジャイアンツグッズが並べられた。
法名は慈嚴院照音晃道居士(じごんいんしょうおんこうどうこじ)。生前、歌手として作曲家として活躍し、また音楽事務所や音楽教室の経営者として人を指導、厳しく慈しみ、諭すことに努めたことからつけられた。
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