焼香を終え「手を合わせていることで(実感が)沸いてきますね」。一番の思い出を問われると「たくさんのことをずっと同時に生きてきた人間。本当に僕がデビューしたときから毎日のように一緒にいた。一緒にいることが当たり前で過ごしてきたので、ぽっかりと大きな穴が空いてしまったという感じです」と答え「独特の個性を持っていて、僕にないダイナミックさや素晴らしいモノを持っていた。背中を見るように学んできた」と、改めて尊敬の思いを口にした。
「新御三家」では、野口が長男、西城さんが次男、郷が三男のような関係だったという。西城さんを「お兄さん」と慕っていた郷は「これからも歌い続けていこうと話していたので、残念です…。でもこれからも関係は変わらない」と言葉に力を込めた。
斎場には「新御三家」の3ショット写真が大きく設置された。野口と並んで焼香をした郷は、このような形で三人がそろったことに「想像もしてなかったので複雑ですよ…」と神妙な表情。「僕よりも秀樹に近い存在に五郎がいたと思う。本当に悲しみは想像がつかないくらい深いのだろうと思う。たくさんの話はしてないけど『残念でしょうがない。毎日、泣いているよ』と言っていました」と漏らしながら、最後には「心から安らかに眠ってほしい」と天国へ呼びかけていた。
祭壇は、1974年にソロ歌手で日本初となる単独野球場コンサートを開催した「大阪球場」を再現。外野スタンドをモチーフに照明や、色鮮やかな花が約1000本添えられ、西城さんが常に愛用したマイクとスタンドも飾られた。遺影は2001年に撮影。ファン向けの祭壇も特設された。
西城さんは、広島県出身。1972年に「恋する季節」で歌手デビュー。翌年には「ちぎれた愛」、その後も「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」をはじめ、「薔薇の鎖」「ギャランドゥ」などの人気曲を歌った。また、トップアイドルの仲間入りを果たし、郷、野口とともに「新御三家」と呼ばれた。48歳だった2003年、56歳だった2011年にも脳梗塞を発症。2度目の脳梗塞では右半身まひという後遺症を負ったが、復帰に向けてリハビリに励んでいた。
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