生涯現役貫いて...桂歌丸さん 告別式 笑点メンバー最後の別れ
7月2日に慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため、81歳で亡くなった落語家の桂歌丸さん。
午後2時から始まった告別式には、「笑点」メンバーの三遊亭小遊三さん、林家三平さん(47)、林家たい平さん(53)、山田隆夫さん(61)、そして林家こん平さん(75)らが参列。
林家木久扇さん(80)は、はなし家らしい歌丸さんとの海外旅行の思い出を明かした。
林家木久扇さんは、「『兄さん、ドルどのくらい持って来たの?』って聞いたら、規制のこれくらい持っていくようにというものから外れて。『兄さん、これ取り上げられちゃうから! 大変だよ、こんなにドル持ってちゃ』、『どうする?』、『トイレに行こう!』と、トイレに2人で行きまして、ドア閉めて、2人で上半身裸になって、兄さんの持ってるドルをですね、私がセロハンテープを持ってましたので、背中にどんどんどんどん貼りつけていきまして。トイレから出ましてね、切符を見せて『これは、どこから乗ったらいいんですか?』と聞いたら、『あれです』って、もう飛んでっちゃったんですよね」と語った。
落語を残すのも、落語のお客さんを残すのも、落語家の責任。
そんな思いで67年間、落語に人生をかけた歌丸さん。
1966年にスタートした「笑点」の顔としても、50年以上にわたり、お茶の間に笑いを届けた。
晩年は腸閉塞や肺気腫、肺炎など、さまざまな病と闘いながら高座に上がり続けるなど、最後の最後まで、命がけで落語と向き合った。
11日の告別式には、歌舞伎俳優の尾上松也さんや、女優の泉 ピン子さん、落語家の笑福亭鶴瓶さん、林家ペーさん、マギー司郎さんら、およそ2,500人が参列した。
春風亭昇太さん(58)
歌丸師匠の後の(笑点の)司会なんてね、そら嫌ですよ。ずっと笑点に携わってた方ですからね。
いろんな司会者を回答者として経験して、それで満を持して司会をやっていた方なので。
本当に「自由にやってください」って真っ先に言ってくれたのは、うれしかったですね
三遊亭圓楽さん(68)
まずは「お疲れ様でございました」と。そして、あとは「ありがとうございました」と。もう1つが、「まだ呼んじゃダメだよ」と。
そっちに行くと、うちの師匠だとか、談志師匠だとか、いろんなお師匠さんたちがいるから。ちょっと早いと言われるか、こき使われるか知りませんがね。
とにかく、「そっちでしばらく待っててください」と。わたしは、ゆっくり行きますから。
しばらく寂しい思いをしながら、思い出の中に生きて。自分の寿命が尽きた時に、お師匠さんに、うちの師匠のいらっしゃるところへ伺いますからと。
遺影は、歌丸さんが大好きだったという緑色の着物を着て、高座に上がったときのもので、祭壇は、3,000本の花で、歌丸さんが育った横浜の海をイメージ。
そして、祭壇の横には、歌丸さんの功績をたたえる展示室が。
愛用品の数々、写真パネルのほかに、2018年4月、最後に上がった高座の映像が流された。
また、「笑点」が放送50周年を迎えた際に贈られた特製の車椅子が飾られ、セットも再現された。
告別式の会場には、一般の人向けの献花台も設けられ、1,500人ものファンが駆けつけ、列を作った。
告別式では、歌舞伎俳優の中村吉右衛門さん(74)が、涙をこらえながら友人を代表してあいさつした。
中村吉右衛門さん
追悼番組の中で、師匠と奥さまが結婚なさる時に、奥さまが「よし、この人のはなし家としての将来にかけてみよう」とおっしゃったとか、女性にそこまで腹をくくらせる師匠の人間性の素晴らしさに感服し、奥さまの度量の大きさにも感服いたしまして。
師匠を私がうらやましいなと思うのは、奥さまが見抜いた通り、師匠は落語を残し、そして落語のお客さまを残し、やるべきことを全てやりつくして旅立たれました。
言ってみれば、独り勝ちみたいなものでございますね。
ですから、私は最後に師匠に、こう申し上げたい。
「師匠、勝ち逃げはずるいよ」ということでございます。お疲れさまでした。
泉 ピン子さん
わたしがお笑いをやっているころに、よく昔、旅に行った仲ですから。
わたしの若い10代のころを知っている人は、もういなくなっちゃいましたね。
わたしの若い、カワイイ時代を知っている師匠は、歌丸師匠が最後ですね。
本当に真面目で、オシャレで堅物で、ちょっと打ち合わせしていても笑う感じがないんですよ。打ち合わせも。
真面目なんですよ。笑いもとらない
余計なことを言うと、「リハーサル中です」って。そういうところは、師匠は融通性はないです。
(お別れの言葉は?)
もうすぐ行くから待っててね。
本当に惜しい...。落語家っぽい落語家さん。オシャレで粋な、愛する横浜で、地元の皆さんとお別れ会して、本当に兄さんぽいなと思います。
桂文珍さん(69)
「お客さまあっての芸だ」っていうことですね。ここが1番、師匠に教わったことだというふうに思っております。
芸に対して真正面から向かっていくところが、かっこいい。そういうところが、大変、尊敬するところ。
(“最後まで現役”の言葉がぴったり)
酸素を吸いながら、一生懸命、語っていかれるという辺りは、素晴らしい生きざまだったと思っております。
歌舞伎俳優の尾上松也さん(33)
師匠は恥ずかしがって、ご自身のそういったことは、教えてくださらなかったものですから。
「もうやっていただけるだけで...」というような、すごく喜んでくださってたのが、うれしくて印象に残ってます。
愛に包まれた方だなと。
落語愛しかり、落語の未来もそうですし、後輩たちに対しても、何に対しても、特に奥さまへの愛情というのは、深いものがあったんだろうなと。
師匠の魂みたいなものは、せんえつながら未熟者ですけれども、僕も継承して、未来に歌舞伎も落語も伝統芸能ですので、未来につなげていけるように僕も全力を尽くしたいなと。
林家たい平さん(53)
最後は、酸素のチューブをつけながらの落語でしたけど、師匠は、ずっとかっこいい人だったから、そういうところは見せたくないのかなと思ってたけど。
それすらも笑いに変えて、そして、最後の最後まで落語を人に伝えたい、楽しさを伝えたいって、それも全部、僕たちに背中で見せてくれたし、高座で見せてくれたかっこいい師匠でした。
三遊亭小遊三さん(71)
だんだん寂しくなりますね。
訃報の直後は、いろいろと頭を使うので、そういう気持ちにならなかったんですけど。
だんだん、だんだん、「ああ、本当にいなくなっちゃうんだな」と、それが大きな穴が開いたみたいで、とっても不安ですね。
桂米助さん(70)
僕は弟弟子ですから、お通夜から昨日のお葬式から、きょうと、3日間ずっと一緒だったので。
だから逆に言うと、これからでしょうね、寂しさが来るのはね。
今はまだ、僕なんかも、ずっとそういうところで気を張ってましたし、本当のさみしさっていうのは、これからだと思いますよ。
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