婚約が内定した高円宮家の三女、絢子さま(27)が2日、お相手の日本郵船勤務の会社員、守谷慧さん(32)と行われた記者会見の一問一答は以下の通り。
――ご婚約が内定した現在の率直なお気持ちをお聞かせください。今日午前、皇居・御所ではどのようにご報告し、天皇、皇后両陛下からどのようなお気持ちが伝えられましたか。そのお気持ちをどのように受け止めていらっしゃるかも、お聞かせください。
絢子さま ご質問にお答えする前にまず、6月18日に起こりました大阪北部地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。また被災された方々が一日も早く落ち着いた生活を取り戻されることを心から願っております。ではご質問にお答えいたします。
本日このように婚約の内定を発表することができまして、うれしく思いますとともに身の引き締まる思いでございます。天皇陛下におかれましては、今朝ほどよりご気分がすぐれないとのことで、ご案じ申し上げております。そのようななか、皇后陛下に先ほどお目にかかることができ、皇后陛下より両陛下の温かくお心のこもったお言葉をいただきました。その内容につきましては、私の心の内にそっととどめておきたいと存じます。
守谷さん この日を迎えることができまして、うれしく幸せなことと存じます。
――出会いから半年あまりでの婚約内定となりました。お互いのどのようなところにひかれたか、プロポーズの時期や言葉などを含め、出会いから結婚の意思を固められるまでの経緯を具体的にお聞かせください。
絢子さま 守谷さんとの出会いは報道にもありました通り、母からの紹介でございます。守谷さんのお母さまが生前ご尽力なさっていたNPO法人「国境なき子どもたち」の設立20周年記念レセプションにて、母が守谷さんと約10年ぶりに再会いたしましたことがきっかけでございます。私が初めて守谷さんにお会いしたのは昨年12月のことで、初対面とは思えないほど話が盛り上がり、時間を忘れて楽しんだことをよく覚えております。
その後何度もお会いするうちに、守谷さんの優しくスマートで決断力のあるところに魅力を感じ、結婚を前提としたお付き合いを始めまして、今年に入り、レストランでお食事をした後にプロポーズをされました。
あまりに突然のことでしたので、お返事は保留させていただきまして、その後お互いの家族、友人、知人を含めてお付き合いをしていくなかで、この方ならと思い、4月に入り、よろしくお願いいたしますとお答えいたしました。
私に守谷さんを紹介した母の思惑がどうであったのかは分かりませんが、2人で様々な場所へ行き、時間や思い出を共有していくなかで自然とお互いにひかれ合い、今日という日を迎えられましたことは、両母親のつないだすてきなご縁だったのかなと思っております。
守谷さん 明るく前向きな方ということがですね、私が絢子さまにいだきました第一印象でございました。その後ご一緒するなかで、どなたに対しても温かく接するその優しさという部分に心強くひかれまして、次第に生涯を共にしたいという気持ちが芽生えてまいりました。
またこのような場で申し上げることが適切かどうか分かりかねる部分もございますけれども、親を突然亡くしたことによる心情の変化、そのようなものに理解を示していただき、心の距離がさらに縮まったと、そのように感じます。プロポーズの言葉につきましては、そのようなお話も含みますことから、2人の胸の内に秘めさせていただければと存じます。
――お二人でどのような家庭を築いていきたいと思われますか。普段、お互いをどのように呼び合っていらっしゃるかも、あわせてお聞かせください。
絢子さま ありきたりなお答えかもしれませんが、笑いの絶えない明るい家庭を築いていきたいと思っております。私は父を、守谷さんはお母さまを、とそれぞれかけがえのない家族を突然失った経験を持ちますので、今日あることが明日も必ずあるわけではないという共通の認識を持っております。日常に慣れすぎず、日々の何気ない出来事にも喜びや楽しさを2人できちんと感じていきたいと思っております。
呼び方に関してですが、私は「慧さん」と呼んでおります。
守谷さん 本来は宮さま、または絢子さまとお呼びするべきかと存じますが、街中でお呼びすることを考慮するように、というお話がございましたので、私は「絢子さん」とお呼びをしております。
理想の家庭像としましては、笑いの絶えない明るい家庭というものでございますけれども、何よりお互い尊敬のしあえるかたちでいたいと、そのように考えております。
――ご結婚の意思を、それぞれのご家族にどのようにお伝えになり、どのようなお言葉がありましたか。絢子さまはお父さまを、守谷さんはお母さまを亡くされていますが、婚約内定にあたりご両親にどのような言葉を伝えたいと思われますか。
絢子さま 母からの紹介ということもあり、折に触れて母には報告をしておりましたので、改めて何か結婚の意思を伝えるということはいたしませんでした。また当初より結婚を前提としたお付き合いと考えておりましたので、自然な流れで家族にも会わせて、父には温かく見守って下さるようお願いいたしました。
守谷さん 絢子さまと家庭を築きたい旨、家族に報告しましたところ、当初は大変に驚いておりましたけれども、その後「おめでとう。手を取り合って幸せな家庭を築くように」という言葉がありました。絢子さまとの出会いに関しましては、私は家族、また関係する皆さまにつないでいただいたご縁だとそのように信じておりますので、「ありがとうございます。このご縁を大切にしてまいります」と伝えました。
――絢子さまにおたずねします。皇族としての日々を振り返り、どのような思いをお持ちですか。皇族の減少についてのお考えもお聞かせください。学んでこられた福祉分野の活動を含め、今後どのような生活を思い描いておられますか。
絢子さま 皇族としての日々を振り返りますと、ありがたくもさまざまなものに触れ、学ぶ機会をたくさんいただいた27年間でございました。成年皇族として果たすべき役割を私なりに果たしてきたつもりではございますが、それが十分であったかどうかは分かりません。結婚により皇籍を離れるまでは、皇族としての責務を果たすよう、より一層努力をし、結婚後にはこれまで得てきたことを糧にさまざまなことに取り組んでまいりたいと存じます。
皇族の減少は事実として起こっていることではございますが、その先の制度を含め、私はコメントする立場におりませんので、発言は差し控えたいと存じます。
私は大学時代より福祉分野を学び、研究してまいりました。この福祉という言葉には、幸せや豊かさいう意味があり、福祉は自分が関わる人の幸せのために動くことであると私は考えております。ですので、学んできた児童福祉や高齢者福祉が今後どのように生かせるかは分かりませんが、守谷さんやご家族を幸せにできるよう努めてまいりたいと存じます。
――最後に、守谷さんにおたずねします。皇族の方を妻とすることをどのようにお考えでしょうか。ご自身の性格や大切にされている事、座右の銘などをご紹介いただき、お仕事やお二人の出会いのきっかけとなったNPO活動の展望もお聞かせください。
守谷さん 皇族の方を妻としてお迎えすることは、大変に恐れ多いことでございまして、ただ一方で大変にありがたく、光栄なことと存じます。
座右の銘といたしまして、日進月歩と言いますでしょうか、一歩ずつあるいは半歩ずつでもですね、常に前向きにということを心がけておりまして、うまくいったことだけではなく、自らの過ちや失敗、つらかったことを糧とし、時には反省をし、常に前に行けるように、そのような心づもりで取り組んでおります。仕事にも同じ姿勢で臨みたいと思いますし、またご質問のあったNPOの活動につきましても、助けを必要とされる方々に少しでも貢献ができるよう、これからも尽力して参りたいと存じます。以上でございます。
続きを読みます https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32507090S8A700C1000000/
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