劇団四季の元代表で、日本にミュージカル文化を定着させ、戦後演劇界に革新をもたらした演出家の浅利慶太(あさり・けいた)さんが13日午後5時33分、悪性リンパ腫のため、東京都内の病院で死去した。85歳。葬儀は親族で行った。9月に、お別れの会を行う予定。喪主は妻で女優の野村玲子(のむら・りょうこ、本名・浅利玲子=あさり・りょうこ)さん。
昭和8年、東京生まれ。慶応大学仏文科在学中の28年、藤野節子、水島弘、日下武史らと劇団四季を創設。ジャン・アヌイやジャン・ジロドゥなど、フランス近代劇を軸に上演した。
さらにミュージカル「キャッツ」の日本上演権を獲得し、58年、自前の専用劇場での無期限ロングラン公演を成功させ、ミュージカルブームに火をつけた。以後、「オペラ座の怪人」「ライオンキング」など、数々のロングラン公演を実現し、日本の興行形態に変革をもたらした。オリジナルミュージカルでも、戦争と昭和をテーマにした「ミュージカル李香蘭」「異国の丘」「南十字星」の昭和3部作などを生み出した。平成10年、長野冬季五輪の開会式、閉会式を演出。産経新聞正論メンバーとしても活躍した。
四季の上演作のほぼ全作品の演出、制作を手がけたが、平成26年6月、四季の代表を退き、浅利演出事務所を設立、せりふ劇を中心に上演していた。今年9月も「アンドロマック」を演出する予定だった。紀伊国屋演劇賞、菊池寛賞など、受賞歴多数。
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