海外ミュージカルをヒットさせ、日本の演劇界を変えた劇団経営者――。13日死去した浅利慶太さんはそう高く評価される。だが、自著では自分を「生涯一演出家」と書いていた。
「大げさなことは思っていません。芝居にほれて一生懸命やっているだけ」。2年前、取材で日本の演劇界への功績を問うと浅利さんは言葉少なにそう答えた。一方で、次に上演するミュージカル「李香蘭」については冗舌だった。「歴史の真実を直視して、次の世代に伝えたい。ミュージカルだと、若い人にも分かりやすいでしょ」
中国で活躍した日本人女優を主人公に、日本が戦争にのめり込む時代を描いた自作の演劇だ。初演は1991年。オリジナル作品への思いは強かった。「自分たちの国の話、実感できるものをやりたかった」
劇団四季は、俳優・スタッフ計約1300人、全国に六つの専用劇場を持つ大劇団だ。53年、慶応大在学中の浅利さんが日下武史さんらと旗揚げした時は10人。貧しく、日下さんと1杯のそばを分け合う日もあった。それでも、俳優のテレビ出演料などに頼らず、芝居だけで食べられる道を切り開いた。
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