85歳死去・浅利慶太さん長野五輪演出マル秘エピソード 予定外だった「あの曲」の演奏 - Crune Blogs

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2018年7月19日木曜日

85歳死去・浅利慶太さん長野五輪演出マル秘エピソード 予定外だった「あの曲」の演奏

女子ゴルフ「ダイキンオーキッドレディース」のプロアマ戦で宮里藍(右)と笑顔を見せる浅利慶太さん(2004年3月)

 劇団四季を創設した元代表で、ミュージカル「キャッツ」「ライオンキング」などを手掛けた演出家の浅利慶太(あさり・けいた)さんが13日午後5時33分、悪性リンパ腫のため東京都港区の病院で死去していたことが明らかになった。85歳だった。浅利さんの「大仕事」といえば、1998年の長野冬季五輪開閉会式の演出。世界中が目撃したセレモニーで、演出家としての浅利さんの度量の大きさを示すマル秘エピソードがあった。

 長野五輪閉会式のフィナーレは司会・萩本欽一の進行で「日本の四季」をテーマにした約5000発の花火打ち上げがメインだった。長野の澄み切った夜空に色とりどりの花火が打ち上げられ、世界中の選手たちも大興奮で式を楽しむと、歌手・杏里のリードで、唱歌「故郷」を合唱。その後、シンガー・ソングライターの角松敏生率いるバンド「AGHARTA」による曲「WAになっておどろう~イレ アイエ~」の歌唱があった。

 同曲は長野五輪前年の1997年にNHK「みんなのうた」で放送され、大ヒット。その後ジャニーズグループ「V6」がカバーしたことでも知られる。この曲に選手たちが踊りだして観衆も大興奮。国籍を超えて会場が一体となった。

 実はこの「WAになって――」は当初、演奏予定ではなかったという。

「実は最初の浅利さんの演出では『故郷』の歌唱で閉会式は終了ということになっていたんです」(テレビ局関係者)

 だが「WAになって――」については、地元・長野県関係者や五輪演出に関わった現場サイドで「曲のテーマが『輪になって踊ろう』と、まさにスポーツで世界を一つにしようという五輪の精神にぴったりで『閉会式で歌いたい』と要望が大きかった」(前出関係者)という。

 これに、浅利さんは判断を下した。「俺の演出は花火が打ち上がるまで。後のことは知らないよ」と「WAになって――」を演奏することを黙認したという。

「現場が演出家に意見するということ自体、許されたものではない。しかも舞台は五輪。でも浅利さんは、曲の持つパワーを感じていたからこそ、あえて現場の意見を取り入れた」と前出関係者。

 しかも、バンドが生演奏することも認めた。

「機材のトラブルがあってはいけないので絶対に生演奏はあり得ない。普通なら、録音された音源を使用します」(前同)

 この心意気に角松もミュージシャンとして応えた。最高のパフォーマンスを披露し、まさに「音楽で世界が一つになった瞬間」だった。

 関係者は「浅利さんと角松さんの“化学反応”でしょう。音楽が言葉や人種の壁を乗り越えた」と振り返った。

 厳しい演出家として、多くの役者を育てた浅利さん。その代表格が鹿賀丈史(67)と市村正親(69)。ともに劇団四季出身の名優で現在も第一線で活躍中だ。2人は都内で会見を開き、浅利さんとの思い出を語った。

「浅利先生がいなかったら、ボクはいない」と話した鹿賀は「四季で始まった役者人生ですから、浅利先生の教え、生きざま、そういうのを見習って生きていきたいなと思う」としみじみ。

 市村も「浅利さんにゼロから教育してもらった。俳優としてのボクの8割は浅利さん。浅利さんの言ったことを全部覚えている」と言い切った。

 劇団四季時代、トップ俳優は鹿賀だった。浅利さんからは「鹿賀がステーキならば、市村はクレソン」と例えられたという。

「クレソンといえばステーキのそばになくてはならないもの。けど、後で俺は葉っぱか!?っていう思いはちょっとありました」(市村)

 葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻で女優の野村玲子(のむら・りょうこ)。後日、お別れの会が開かれる予定だ。

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続きを読みます https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/1068202/

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