「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」「傷だらけのローラ」などのヒット曲で知られる歌手の西城秀樹(さいじょう・ひでき、本名木本龍雄〈きもと・たつお〉)さんが16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で死去した。63歳だった。通夜は25日午後6時、葬儀は26日午前11時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻の木本美紀さん。
55年、広島市生まれ。高校時代にジャズ喫茶でスカウトされ、上京。72年、16歳のときに「恋する季節」でデビューした。73年「ちぎれた愛」、74年「傷だらけのローラ」などが次々にヒット。野口五郎さん、郷ひろみさんと「新御三家」と呼ばれた。
74年の映画「愛と誠」に主演し、TBSの連続ドラマ「寺内貫太郎一家」にレギュラー出演するなど、俳優としても活躍。ハウス食品「バーモントカレー」のテレビCMでも知られ、お茶の間に広く親しまれた。
洋楽を日本語で歌うことに力を入れ、ビレッジ・ピープルの曲をカバーした79年のシングル「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」がミリオンに迫る大ヒット。両腕で「Y・M・C・A」を表現する人文字の振り付けは本人が考案したといわれ、子どもから大人まで広まり、社会現象になった。
30代に入る頃からロックへのこだわりを見せ、83年「ギャランドゥ」以降ロック色を強めた。ミュージカルにも早くから挑戦し、「ラヴ」などに出演した。
80年代初めからアジア公演に力を入れ、88年ソウル五輪の前夜祭では、日本の歌手として初めて韓国の公式の場で日本語で「傷だらけのローラ」を歌った。
03年、ショーで訪れた韓国で脳梗塞(こうそく)を発症し、帰国後に入院。復帰後、新曲「めぐり逢い」(06年)を発表したり、NHK朝ドラ「つばさ」(09年)に出演したりした。11年に再発し、後遺症が残ったがリハビリに励み、16年に45周年コンサートを行った。
歌への情熱枯渇せず
2度の脳梗塞(こうそく)で右半身まひの後遺症を抱えた西城さん。「病気のおかげで、僕は歌うことの喜びを知った。これからもずっと、歌い続けていきたい」。2006年の朝日新聞のインタビューで答えていたが、その言葉通り、歌への情熱が枯渇することはなかった。
昨年10月に東京都内で開いた単独コンサート。曲間のトークはたどたどしく、派手なステージアクションはもちろんない。体への負担を避けるためか、いすに座って歌う場面もあった。
それでも、ひとたびバックの伴奏が始まれば一変。「ヤングマン」「激しい恋」など往年の名曲から、還暦を迎えた15年に発表した新曲「蜃気楼(しんきろう)」まで、激しいサウンドをバックに熱唱した。リハビリ中とは思えぬ生気みなぎる歌声。2千人の観客を熱狂の渦に巻き込む力があった。
「デビュー50周年に向けて頑張る。体を鍛え直さないといけない」。22年に訪れる節目に向け、西城さんは周囲に意気込みを語っていた。マネジャー、プロデューサーとして35年にわたって活動を支え続けた片方秀幸さん(57)によると、今年は充電期間に位置づけ、スポーツジムに通うなど、精力的にリハビリに励んでいたという。
代表曲の一つ「傷だらけのローラ」。全身を使って振り絞るように歌う楽曲だが、ここ数年は封印していた。「アクションあっての曲。いつかステージで披露する日を夢見ていました」と片方さん。
その夢がかなわぬまま、旅立った。
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