保守派の論客として知られる西部邁(にしべすすむ)さんが二十一日、搬送先の東京都内の病院で死去した。東京都大田区の多摩川で自殺を図り、溺死したとみられる。七十八歳。北海道出身。
警視庁によると、二十一日午前六時四十分ごろ、大田区田園調布五の多摩川河川敷で、長男から「父親が飛び込んだ」と一一〇番があった。駆け付けた警察官が救出した際には意識がなく、河川敷で遺書が見つかった。西部さんの姿が見えなかったため、長男が二十一日未明に警察に通報し、捜索願を出していた。
近年は著作などで、自殺をほのめかすような記述もしていた。
東京大卒。専門は社会経済学。在学中は東大自治会委員長として六〇年安保闘争の指導的役割を果たす。その後、保守の論客に転じ、テレビの討論番組「朝まで生テレビ!」などで活躍した。戦後日本の在り方を問い続け、イラク戦争時には米国を糾弾。親米の保守系言論人に対しても厳しい目を向けた。
横浜国立大助教授などを経て東大教授となったが、一九八八年に人類学者の中沢新一さんの教官としての受け入れが大学側に拒否されたことに抗議して辞任。主宰した論壇誌「発言者」と後続の「表現者」を軸に言論活動を続けたが、昨年顧問を引退した。
著書に「生まじめな戯れ」「大衆への反逆」など。
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本紙では一九八三年十二月〜八八年十一月に、論壇時評を執筆した。
◆曖昧が大嫌いな人
<ジャーナリストの田原総一朗さんの話> 大ショックだ。去年会った時、体調が悪いと言っていたので気にしていた。近く会いたいなと思っていた。彼は非常にラジカルで、物事を非常にちゃんと考える人。曖昧なことが大嫌いだ。日本は、安全保障も経済も、大事な部分を隠して曖昧。そういうことが彼には我慢できなかったのではないか。
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