昭和62年の朝日新聞阪神支局襲撃事件で、写真記者として現場に居合わせた高山顕治さん(56)=現秩父支局長=は19日、亡くなった当時の同僚犬飼兵衛さんを悼み「事件が未解決で悔しい。犬飼さんも無念さは強かったはず。ショックで残念だ」と語った。
「手を縛れ」。目出し帽姿の男に銃撃された後、倒れた犬飼さんから指示が飛んだ。夢中で流し台のタオルをつかみ、止血のため心臓より上へと犬飼さんが掲げた右手に巻き付け、警察に電話した。
事件について直接的な話は交わさないまま、高山さんは転勤。犯人の様子を細かく説明する犬飼さんの証言を新聞で知り、観察力に驚いた。
死亡した小尻知博記者を含め、現場にいた3人のうち唯一銃撃を受けず、負い目を感じていたという高山さん。気持ちが救われたのは事件の数年後、「高山がおらんかったら、死んでいたかもしれない」という犬飼さんの言葉だった。「ちょっと気が短くて、ぽってりした体形。昔ながらの記者だった」と懐かしむ。
犬飼さんは長野県の諏訪支局員を最後に退職。「山を見てのんびりと暮らすんだ。山岳雑誌に原稿を書こうかな」と冗談を言っていた。毎年、長野県から年賀状が届き、高山さんは「畑でも耕しているのかなと思っていた。寂しい」と話した。
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